マイクロプラスチック

プラスチック廃棄物が世界的に問題となっています。昨年暮れ、韓国釜山で「プラスチック汚染に関する法的拘束力のある国際文書(条約)の策定に向けた第5回政府間交渉委員会(INC5)」が開催され、177か国の国連加盟国、関係国際機関、NGO等約3,800人が参加登録して活発な議論がなされました。私もかつて会社員時代に新規高分子材料の開発に携わっていましたし、大手化学メーカーに所属している妻が今この問題に取り組んでいる(上記の会議にも出席)ため、オンラインで公開された最終日の議論(次の日の朝近くまで続いたので、途中でギブアップしましたが)を視聴しました。基本的には南北問題なので、議論は全く噛み合わず、予想通り何ら具体的、あるいは、有益な結論が得られなかったのは、報道の通りです。

話が変わります。私は小学校低学年から釣りが趣味でしたが、ずっと漁港の汚さに心を痛めていました。漁師さん達は、要らなくなった漁網等をどんどんと漁港に棄てます(流石に漁網そのものはスクリューに絡むので、棄てるのは切れっ端ですが)。幼心に、恐らく漁師さん達には、プラスチックは腐らない(分解されない)、という知識が無いんだろうな、と思いました。あるいは、道路の中央分離帯に投げ捨てられた、コンビニの袋に入ったゴミの山です。棄てている人は、誰かが何とかしてくれるというよりも、むしろいつか自然に無くなってしまうという感覚が強いのではないか、と思っていました。

30年位前に通商産業省の一外局の工業技術院傘下の物質工学工業技術研究所に採用していただきましたが(ちなみに、辞令交付者は池袋で事件を起こした方でした)、その前身は繊維高分子材料研究所でした。入所してしばらく経って、何かの機会にプラスチック廃棄物の問題、特に、その教育(分解されないという特性)の重要性を主張しましたが、全く受け入れられませんでした。高性能の高分子やそれによる高機能性繊維を開発し、産業を育成する、ということに主眼が置かれていた時代でした。

プラスチックと原子力発電の問題は同根の様な気がします。勿論、プラスチックの発明は生活を一変させました。あらゆる部材を安く、高品質で提供できます。高品質はその通りなのですが、本当に安いのでしょうか?。原子力発電は、福島の大惨事を経てもなお、まだ安い、なので再開しないと日本の経済が衰退する、と主張する人が多数います。しかし、六ヶ所村は未だ稼働しておらず、稼働の目処すらたっていません。廃炉についてはどうでしょうか?。廃炉のコストが余りにも高いので、法律をねじ曲げてでも稼働期間を延長しています。これらのコストは原子力発電のコストには乗せられていません。プラスチックも全く同じだと思います。生分解性プラスチックが取り沙汰されていますが、現時点では性能に限りがあります。そんなことよりも、まずはプラスチックの特性を一般国民に(小学生から)繰返し伝えることです。また、原子力発電についても同様で、私自身は全廃して欲しいと願っていますが、正しく教育して、今後の賢い道筋を議論して欲しいと思っています。

今日、NHKのクローズアップ現代でこの問題が取り上げられたのを機会に、書いてみました。